上杉鷹山公 教え
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上杉鷹山公が息子に教訓として与えたもの
なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり
上杉鷹山公が上杉家を継ぐに時に詠んだ決意
受けつぎて国の司の身となれば忘るまじきは民の父母
伝国の辞 上杉鷹山公が家督を譲る際に、藩主の心得として伝えたもの
国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候
人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれなく候
国家人民のために立たる君にし君のために立たる
国家人民にはこれなく候
上杉鷹山公の兄 秋月種茂
明倫堂
日向高鍋藩7代藩主・秋月種茂が儒官・千手興欽の進言に基づき
安永7年2月24日(1778年)に設立したもの。
武士や農民や庶民も学ぶことができる学校です。
世界で最初の児童手当
三人以上の子供を持つ農民には
一日米二合か麦三合のどちらかを支給
出産後亡くなる女性が多かったので、産婆のない町には
産婆を大阪から招騁し
貧乏からの間引きなどを厳禁し
双子の出産にはお金をとらず、扶助料を渡した。
卒業生 石井十次
児童福祉の父と言われ日本初の孤児院である岡山孤児院をつくり
三千人の孤児を育てた人
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